ゴジラ キング・オブ・モンスターズ



どうも、松本13です。今回は、『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』についてです。


まずは簡単な概要とあらすじから。


【概要】

『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』は、2019年のアメリカ合衆国の怪獣映画。『モンスター・ヴァース』の3作目。


【あらすじ】

ゴジラ出現から5年後。神話時代の巨大生物モスラ、ラドン、キングギドラたちが現代に目覚め、地球の覇権をかけゴジラとバトルを繰り広げる…



この映画、個人的にはゴジラ映画ワーストの部類に入るかと思います。


世間一般的にはゴジラ映画として大成功した部類だと思いますが。


もちろんこの映画にも素晴らしいところは多々あります。


ただ作中の、渡辺謙扮する芹沢博士の一連の言動が個人的には激しく地雷でして、その一点のみでゴジラ映画としてワーストの部類の評価となっています。


ゴジラのような特撮ジャンルに限らず、どのようなジャンルにおいても近年はとりあえず叩くみたいな否定しぐさがなくなったのは本当にいいことだと思うんですよね。


とりあえず否定したり文句をつけたり無駄な辛口批評を良しとするような風潮。


それらが衰退したのって、そのような言動はジャンルを衰退させるのみで、そしてテレビに出るような大物からネットで情報を発信する個人まで、そのようなスタンスの人間が否定をするばかりで何も生み出してこなかったことがすでに明らかとなっているからだと思います。


もちろんそれなりの作品を残した人もいたりしますが、ただ一連の横暴な言動が正当化できるほど素晴らしい作品を残しているかと言ったら、個人的には微妙なところですし、それらをふまえた上で功罪をプラスマイナスして、マイナスでなかった人はいないかと。


そのような風潮がなくなり、そのような言動をする人間を「老害」の一言で片付けられるようになったのって、個人的には本当にいいことだと思います。


ゴジラ映画というジャンルにおいても様々な世代のファンがいますので評価も様々。


ただ多くのファンはまずはゴジラというコンテンツ自体が存続することを考えているので、どの作品についても結構評価は寛容だと思うんですよね。


一昔前の懐古主義的な否定しぐさみたいな評価ってそこまで多くはないかと。


個人的にはちょっとアレだけど、とはいえ作品として悪くないみたいな、建設的な評価が多いかと思うのですが。


個人的にもそのようなスタンスでゴジラ映画を見てはいるのですが、ただその部分を踏まえても個人的にはこの映画はちょっといただけないかなと。


それくらいにこの作品の芹沢博士の言動は地雷でした。


反核映画としてのゴジラ云々…みたいな言説でゴジラを語るのって決して悪いことではないかと思うのですが、ただいつ何時でも由緒正しきゴジラ感を求めるというのもちょっと酷なんじゃないかと。


実際これまでの国産ゴジラが常に正しいゴジラ映画であったかと言ったら、決してそういうわけでもなく、結構ブレブレな作品もあったと思うんですよね。


反核メッセージ薄めの作品というのも多々ありますし。


ただそれらはあくまで「薄い」だけだったんですよね。


この作品って反核の部分をめちゃくちゃ雑に扱っているように感じられたんですよね。


個人的にそれって一番やっちゃいけないことだで、だったらもうノータッチの方が全然マシだと思うんですよね。


どんなにあさってな解釈やとんちんかんな考察などについても人それぞれでいいかと思うのですが、ただそれをさも真理のような、唯一の答えのように断言するのはやってはいけないことですし、それって一番炎上するパターンかと思うのですが。


それを盛大にやらかしちゃってると思うんですよね、この映画。


問題の言動が芹沢博士でなかったら全然良かったと思うのですが、むしろ芹沢博士だけにはやらしちゃいかんだろうと。


「芹沢」の苗字と「猪四郎」の名を持つ人物にやらせるって、喧嘩を売ってるとかそういうレベルではなく明確な宣戦布告レベルの蛮行だと思うんですよね。


もちろん今作の芹沢博士の言動に関しても、作品の解釈によっては肯定的に受け止められるかもしれないのですが、とはいえこの作品の芹沢博士の言動が一部(それでもかなり多くの)ゴジラファンの超絶な地雷であることは間違いないかと思います。


そう考えるとこのシリーズの芹沢博士って本当に不憫な役回りだと思うんですよね。ある意味シリーズで最低最悪の感動ポルノに使われた挙句、息子は白目で終わりという。


制作側も決して悪意があったというわけではないかと思うのですが。


原爆などに関する教育って多分日本と海外とでは相当温度差があるかと思うので。原爆が単なる大きい爆弾と思っている海外の方も普通にいたりしますし。


いわゆる「バーベンハイマー騒動」などでも感じたことですが、原爆って日本以外の多くの人にとってはそれくらいの認識なんですよね。


もちろん核は決して使ってはならないもの、くらいの認識はあるのかもしれませんが、ただ子供の頃に皮膚がドロドロに溶けた原爆投下直後の死体の写真とか、そういうものを当たり前に見せられて教育されているわけでもないかと思いますし。


故にゴジラ映画に対する認識も日本と海外とではずいぶん違うかと思うのですが。


日本でも世代によってはそもそも反核映画としてのゴジラという認識がなかったりする人もいるかと思いますし。


個人的にゴジラ映画にもそれなりの好みはあり、全く好きになれない作品もあったりはするのですが、ただそれはあくまで個人の好みであって、ひとつのゴジラ映画としては全然ありだと思うんですよね。


ただこの作品に関してはそのような評価もできないかなと。ちょっとないかなと。


それ以外の部分に関しては本当に素晴らしい映画だと思うんですよね。


ここまで大規模な怪獣同士のどつき合いがCGで描かれたのって、おそらく初めてのことだと思いますし、この作品を含むモンスター・ヴァースの地球空洞説という設定もとてつもなく素晴らしいと思うんですよね。


その設定がなければ今作のような多数の怪獣を登場させる事はできなかったと思いますし、後の作品のような平成vsシリーズを彷彿とさせたり、一部昭和作品のようなある種ポップな路線を切り開いたりはできなかったと思いますし。本当にめちゃくちゃ意義のあることだと思うんですよね。


よくも悪くも今の国産ゴジラで怪獣プロレスってなかなか難しいと思うんですよね。


国産ゴジラは国産ゴジラで、『シン・ゴジラ』や 『ゴジラ-1.0』のような素晴らしい作品が作られ、ハリウッド版ゴジラは国産ゴジラとはまた違った素晴らしい路線でのシリーズが作られる。


そんな路線の礎となった今作の功績というのは本当に大きいと思いますし、基本的にはめちゃくちゃ素晴らしい映画なので余計にこの映画の地雷要素については本当にとてつもなく残念に感じました。


ちなみにこれは作品の質とは全く関係のない部分ですが、着ぐるみではないキングギドラにめちゃくちゃ違和感を感じてしまったのは私だけでしょうか?


これって良し悪しとは全く別の部分かと思うのですが、着ぐるみ特撮になれた世代ゆえ、CGの怪獣の動きやアングルなどに未だに違和感を感じてしまうんですよね。


古い世代ゆえかと思いますが。


ファミコンやスーファミのドット絵になれた世代がプレステ以降のポリゴンに慣れることができなかったのと同じことなのかもしれませんが。


まあ世代や時代と言ったらそれまでですが。


それと贅沢を言わせてもらえばもうちょっとラドンをまともな扱いにして欲しかったかなと。


個人的には平成VSシリーズのような面倒見のいい親戚のおばさんみたいな立ち位置のラドンがとても好きなので。


というわけで今回はこの辺で。最後までお付き合いいただきありがとうございました。



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