鬱映画ファイル5『真夜中のカウボーイ』




どうも、松本13です。今回は、鬱映画ファイル5、『真夜中のカウボーイ』についてです。


まずは簡単な概要とあらすじから。


【概要】

『真夜中のカーボーイ』は、1969年公開のアメリカ映画。主演はジョン・ヴォイト、ダスティン・ホフマン。


【あらすじ】

自分の肉体と美貌を武器に、孤独なニューヨークの夫人達を慰めて稼ごうと、テキサスからニューヨークへと出てきた青年ジョー。しかし現実は甘くはなく、逆に金を巻き上げられてしまう…


この映画、いわゆるアメリカンニューシネマの代表的な作品のひとつなので知っている人も多いかと思います。


実際に見たことがなくても名前くらいは知っている人もいるんじゃないかと。


アメリカンニューシネマって、今でこそ名作中の名作みたいな扱いがなされていますが、当時は反主流アンチハッピーエンドな、かなりアナーキーな作品だったと思うんですよね。


なので結構鬱映画が多かったりします。


アメリカンニューシネマってジャンルとして確立された今となっては遠目から見ると格式高いものに見えたりするかもしれませんが、実際に見てみると結構ひどい内容の映画がいっぱいあるんですよね。


あ、もちろんひどいというのはいい意味で。


ガワがあからさまな鬱映画していない分、意外とノータッチな人も多いかと思うので、ある意味アメリカンニューシネマって掘り返しのあるジャンルかと思います。


そんなアメリカンニューシネマの代表的作品である今作なので、もちろん内容は普通の内容ではなく、むしろかなりの鬱映画。


まあ簡単に言ってしまうとこの映画、勘違いした田舎もんが都会でママ活やって稼いでやろうと甘い夢を見て上京するも現実にフルボッコにされる話でして。


そのいたたまれなさが本当に容赦ないんですよね。


特に昔はインターネットがなかったので、物理的に離れた距離にある情報なんて普通に伝わってこなかったですからね。


主要メディアが報じる情報ならともかく、アンダーグラウンドの情報ならなおさら。


だから田舎から都会に夢見ようと思えばいくらでも夢見れたわけで。


本当にこういう都会幻想って昔であればあるほど強かったと思うのですが。


なので生まれ育った境遇や時代などでこの映画の印象も結構違ってくると思うのですが。


とはいえ都会を夢見る田舎者みたいな、そういう感覚って少なからず誰の中にでもあると思うんですよね。


対象が都会でなくとも海外幻想とかインターネット幻想とか。


「ここではないどこか」に対してのちょっと痛い幻想って少なからずはあると思うんですよね。


だからこそ余計に胸をえぐられるみたいな、ちょっとした同族嫌悪というか共感性羞恥というか。


そういう感覚を覚えてしまう映画なんですよね。


とはいえ鬱要素を抜きにしても普通に素晴らしい映画であることは間違いないので、一度は見ておいても損はないんじゃないかと思います。


というわけで今回はこの辺で。最後までお付き合いいただきありがとうございました。


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