ドラゴンボールZ 地球まるごと超決戦

 



どうも、松本13です。今回は、『ドラゴンボールZ 地球まるごと超決戦』についてです。


まずは簡単な概要とあらすじから。


【概要】

『ドラゴンボールZ 地球まるごと超決戦』は、1990年公開の日本のアニメ映画。『ドラゴンボール』シリーズの劇場公開作第6弾。


【あらすじ】

悟空と瓜二つなサイヤ人の生き残り、ターレス率いる壊し屋軍団が襲来。ターレスはその力の源であり、星の生命を食らいつくす神精樹の種を地球に植え付ける…



ドラゴンボールシリーズって、直撃した時代やタイミングによって思い入れの強い作品も若干違ってくるかと思います。


特にアニメや映画などの映像化作品については、コミックのように一貫した1つの作品となっていない故に人によって好みや認識が全く違う印象です。


個人的に映像作品においては、かなり範囲を広くとってのフリーザ戦前後が一番印象に残っています。


その範囲が「一番面白い」のではなく、 あくまで私個人の印象に強く残っているだけなのですが。


とはいえこの時代のドラゴンボールって、当時の週刊少年ジャンプと相まってのまさに黄金期の真っ只中で、今となってはなかなか表現できないくらい絶大な存在だったかと思います。


そしてフリーザ戦以前はまだスーパーサイヤ人は存在せず、界王拳と元気玉で戦っていた時代。


バトル漫画の宿命である強さのインフレというのも今ほどは激しくない時代。


そしてこの時代の映像作品におけるドラゴンボールというのは今よりも大分暗いんですよね。


特にこの頃のドラゴンボールって後のシリーズほどまだ登場人物の死というものが多くは無く、その一つ一つの死がめちゃくちゃ重いものだったんですよね。


後のシリーズにおいての死が決して軽いものではないかと思うのですが、ただこの時代のドラゴンボール特有のハードな雰囲気ってあったと思うんですよね。


特にオリジナル映像作品においては悟空の父親が殺されたり、息子が殺されたり、とにかくハードな話が多く、それらのエピソードは当時子供だった私の心に深く突き刺さっています。


若干トラウマに近いくらいに。


子供の頃って誰でもそうだと思うのですが、悟空がまだ少年だった頃のドラゴンボール無印で育った私にとって、悟空というのはヒーローというよりちょっとした友達と言うか、歳の近い親戚みたいな、そんな感覚でした。


そして比較的ポップなドラゴンボール無印からZに変わり、少年だった悟空が成長して家族を持ち、人死にがバンバン出るハードな戦いへの展開は本当に衝撃的でした。


本当に初期ドラゴンボールというのは戦いで人が死んだりとかそういう話ではなかったので、そこからの体に穴が開いて死んだり、腕が切り落とされたりというのは幼い子供にとっては本当に衝撃以外の何物でもありませんでした。


そんな時代の劇場版ゆえ、作風も今とは少し違い、その中でもこの作品はいい感じにハードな作風かと思います。


よくも悪くも子供らしいポップさのない作品。


この作品前後の劇場版作品にある悟飯の歌うちょっとアレな感じの挿入歌などもありません。


個人的にドラゴンボール劇場版の悟飯の歌う、ちょっとアレな感じの歌って子供ながらに「これ、いる?」 と思っていたのですが。


もちろん好きな人もいるかと思うので異論があることは重々承知ですが。


この映画と言ったら何と言っても敵役のターレス。これにつきるかと思います。


このキャラ、悪役としてはめちゃくちゃ魅力的なキャラなんですよね。


クラッシャーターレス軍団というそのネーミングも含めてもうかなり最高です。ちょっとねじくれたツボを持つ子供の心にめちゃくちゃぶっ刺さるんですよね。


しかも顔は悟空そっくり。


ただ使い捨ての下級戦士ゆえ、タイプが少ないだけで別に兄弟だとかそういうわけでもなく。


悟空やターレスって量産型なんですよね。


そしてターレスって言わば魔改造された量産型みたいなもので、ロボットにしてもデジタルガジェットにしてもゲームハードにしてもスーパーカブなどのバイクにしても、魔改造された量産型って一部の層からは絶大な人気があったりするジャンルだと思うんですよね。


そんなターレスの悟空と同じようで違う「亜種」な感じがめちゃくちゃいい感じなんですよね。


性格はもうこれでもかというくらいの悪なのですが、ただそれらの言動はおそらく戦闘民族サイヤ人としては正義だったり。


悟空も幼い頃にサイヤ人としての記憶を失っていなかったら、同じようなことになっていたかもしれないような、ある種もう一つの可能性みたいなキャラなんですよね。


ただ悟空や悟飯などの同じサイヤ人に対しては、それなりの同族意識もあったり。とはいえ自分の意にそぐわないなら容赦はしないのですが。


そしてこのキャラの野沢雅子さんの縁起がこれまた素晴らしい。


ターレスやスーパーサイヤ人になりたての頃の口調の荒い悟空など、その手の野沢雅子さんの演技からでしか摂取できない栄養ってあると思うんですよね。


この作品で悟空、悟飯、ターレスの三役を演じた野沢雅子さんの演技だけでも一見の価値はあるかと思います。


そしてこの映画の結末もかなりの見物かと思います。


ターレスってめちゃくちゃ悪いやつなので、まあ普通に悟空に倒されては欲しいのですが、ただ勧善懲悪な爽快感みたいなのがこの映画にはないんですよね。


ドラゴンボールのすべてのエピソードが勧善懲悪というわけではないのですが、ただ悟空が強敵を倒した後の爽快感みたいなのって結構あると思うんですよね。


もちろん敵を倒すまでは応援したくもなりますし。


ただこの作品にはそういう感覚を他の作品ほど持てなかったりします。


ターレスがとてつもなく魅力的なキャラというのもありますし、サイヤ人の数少ない生き残りという部分もあり。


テレビスペシャルでフリーザによるサイヤ人大量虐殺に衝撃を受けた世代ゆえ、余計に生き残りのサイヤ人には情が湧いてしまう部分もあり、それ以上にやはりなんやかんやで声も顔も悟空そっくりというのが心にくるものがあります。


それゆえにこの映画の結末は少し悲しい気持ちになってしまいます。


この作品を見た全ての人が私と同じような感想を持てるかどうかは分かりませんが、ただ上述のような多くの見所はありますし、まだスーパーサイヤ人もフュージョンもない、今ほど強さがインフレする以前の、今より色々なものが緩かった時代の比較的ハードな作風のドラゴンボール、としての見応えはかなりあるんじゃないかと思います。


もちろん今よりも様々なシステムが確立されていなかった故、アニメが原作に追いつかないよう、今ではありえないような足踏み展開なども多々あったりと、必ずしもいいことばかりではなかったのですが、ただこの時代のターレスやバーダックなどのドラゴンボールのアニメオリジナル要素については、本当にめちゃくちゃ素晴らしいものばかりだと思います。


人によって絶妙な共感性羞恥を誘ってしまうような悟飯のちょっとアレな歌みたいな、子供向け要素もない作品なので、普通のアニメ映画としても見やすいんじゃないかなと。


このような作品ひとつにおいても様々な思い入れのある私にとって、本当にドラゴンボールという作品は言葉では言い表せないほど大きな作品でした。


それゆえに2024年3月1日に鳥山明先生が亡くなられたことは本当に言葉にできないくらい大きな出来事でした。


このような先生の素晴らしい作品に触れることができたことは本当に人生の財産であり、それらの作品を与えてくれた先生には本当に感謝しかありません。


というわけで今回はこの辺で。最後までお付き合いいただきありがとうございました。


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