スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム



どうも、松本13です。今回は、『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』についてです。

まずは簡単な概要とあらすじから。


【概要】

『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』は、マーベル・コミックのスーパーヒーロー『スパイダーマン』をベースとした、2021年のアメリカ合衆国のスーパーヒーロー映画。シリーズ3作目であり、「マーベル・シネマティック・ユニバース」(MCU)の27作目である。


【あらすじ】

敵により自身がスパイダーマンであることを暴露されてしまったピーター・パーカー。マスコミに騒ぎ立てられ、生活は一変。身近な大切な人にも危険が及ぶことを恐れたピーターは、共にサノスと闘ったドクター・ストレンジに助力を求め、魔術の力で自分がスパイダーマンだと知られていない世界にしてほしいと頼むが…


「ぶん殴りたくなる」という感覚というのはちょっと独特な感覚だと思うんですよね。


それほどまでに嫌いというわけでもなく、実際に殴りたいほどの怒りや憎しみがあるというわけでもなく。


「ぶん殴りたい」ではなく「ぶん殴りたくなる」。


絶妙にそうとしか言えないような感覚。


私がそう思うのは大抵映画や小説などに出てくる登場人物で、大抵はクソガキ感満載の十代。


それらと遭遇した作品をその後再び見ることは殆どありません。


ぶん殴りたくなる感覚というのはとても不快だからです。厳密に言うと不快とはちょっと違うのだけれど、少なくともそれはいい感覚ではありません。


例えるなら自分が十代の頃の真夜中のテンションで書いた自作のポエムを目の前で読み上げられるようなもの。


共感性羞恥が全力で刺激されるような。


結局のところ、ぶん殴りたくなる奴は痛いんですよね。痛々しいんですよね。それを見ていられないのは、それがかつての自分を彷彿とさせるからなのかもしれません。


そしてその「ぶん殴りたくなる感」の最大級に、それこそ世界的に著名な例がサム・ライミ版『スパイダーマン3』の闇落ちしたピーター・パーカーなんじゃないかと。


言われ方は様々であるかと思いますが、闇堕ちした際の彼の言動が相当にアレだったことは間違いないかと思います。


たぶん世界中二病選手権というものがあったら確実に殿堂入りレベルだと思うんですよね。


あのピーター・パーカーが何故あそこまでアレなのかといったら、ああいう調子の乗り方に誰でも少なからず覚えがあるからなんじゃないかと。


でっかいドラゴンがプリントしてあるめちゃくちゃかっこいい服をおろした日とか、チャックいっぱいついている服とか、髪の毛を初めて染めた日とか、実際にやるかはともかくとして、心の中ではああいう感じだったと思うんですよね。


そういう部分の共感性羞恥を絶妙に刺激してくるんですよね。あのピーター・パーカーは。封印した黒歴史の蓋をこじ開けようとしてくるんですよね。


作品自体の出来も決して良いとは言えず、言ってしまえばかなりの駄作扱いをされていることが多いかと思います。


監督曰く、制作についてもうまくいかなかったようで、ひと悶着ふた悶着の紆余曲折の末に出来上がった割と洒落にならないレベルの駄作。それに加えてのピーター・パーカーのあの狼藉。


それが単発の駄作ならまだ良かったのだけれど、むしろそれまでが傑作だったから余計に落差が激しかったんですよね。


スパイダーマン1と2は アメコミ映画の歴史を変えた大傑作。それくらいの評価も決して大げさではないかと。


それらの賛辞は作品だけではなく、主演のトビー・マグワイアにも送られていたと思います。


トビー・マグワイアのピーター・パーカーはかなりの当たり役だったと思います。私も原作コミックを読んだことはあったけれど、トビー・マグワイアのピーター・パーカーはまさに私の思ったピーター・パーカーで、世界中の多くの人にとってそれは同じだったように思います。


それが3で妙な調子のこき方をしちゃったもんだからなんだか微妙な雰囲気に、作品自体も微妙でシリーズもそこで打ち止め。


何もかもが微妙な感じで終わってしまいました。


スパイダーマン3というのはそれぐらいに負のパワーに満ち溢れた作品だったと思うんですよね。


あのスパイダーマン3がなければ後の評価ももっと違ったはずだと思いますし。


別に今だって過小に評価され過ぎている訳ではないけれど。それでももっと評価されていたと思うんですよね。


そんな史上空前の尻すぼみからしばしの後に新たに始まった『アメイジング・スパイダーマン』。


今度は2でやらかしました。


決して駄作ではないものの、賛否両論な部分は多々あり、しかもシリーズが打ち切りとなり、結果的にめちゃくちゃ中途半端で微妙な立ち位置の作品となってしまいました。


私にとってピーター・パーカーというのは過酷な運命を背負った青年というイメージで、まあヒーロー映画にありがちっちゃありがちなのだけれど。


だからこそ報われてほしいと思うのだけれど。結局いつも報われなくて、しかもその報われなさが何とも言えず微妙で。


だからスパイダーマンは臭いものに蓋のような感じで自分の中で封印していた節があります。


面白い映画は何度も見る。重い映画だって嫌いじゃない。世間的には駄作と言われていても私は好きで何度も見る映画もあります。


ただスパイダーマンを見ても結局いつも最終的に残るのは何もかもが回収されない歯がゆさだけと分かっているものだから、スパイダーマンの映画って他の映画に比べて圧倒的に視聴回数が少なかったりします。


なのでMCUにスパイダーマンが参加するしないなんてニュースも大してチェックしていなかったんですよね。


だから『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』でいきなりスパイダーマンが出てきた時は本当に驚きました。


MCUにおけるスパイダーマンはとても素晴らしかったです。ピーター・パーカーを演じるトム・ホランドも。それらを取り巻くこれまでとは違った特異な設定も。


最後の最後に飛び込んできたくせに美味しいところの殆どを持って行ったと言っても過言ではないぐらい、MCUフェーズ3においてのスパイダーマンは大活躍でした。


しかも客演だけでなく、自分が主演する映画もしっかりと素晴らしかった。


それでも純粋にそれらに熱狂できなかったのはこれまでの例があるからで。


多分またやらかすのだろうなと、そう先回りをしてスパイダーマンとはある程度距離を置いていました。


そして迎えたMCU版スパイダーマン3作目の今作。


多分、今回も…それでももしかしたら…そんなせめぎあいもあったのだけれど、これまでの例があるので相当な警戒をして視聴に臨みました。


結果的に言うとスパイダーマンは今回もやらかしました。激しくやらかしました。ただこれまでで初めていい方向に。


今回の作品はマルチバース設定で、旧シリーズのヴィランが登場するということは知ってはいました。が、過去のスパイダーマンまで登場するとは思ってもみなかったんですよね。


しかもサム・ライミ版スパイダーマンとアメイジングスパイダーマンの両方が。


もしかしたらとは思ってはいたけれど、出ても片方くらいだと思っていたし、出るにしたってカメオ出演かお決まりのCパートにちょっと出るくらいのものだと思っていました。


ところがどっこいふたを開けてみれば準主役レベルくらいにがっつりと活躍するものだから本当に驚きました。


そして旧作でやらかした二人のピーター・パーカーが、今作のピーター・パーカーにはそんな思いをさせてなるかと尽力するところがこれまた泣けました。


そしてそれらによってこれまで結果的に妙な途切れ方をしてきたスパイダーマンや作中のピーター・パーカーがようやく救われたような気がしました。


私にとってスパイダーマン/ノー・ウェイ・ホームは本当に奇跡のような映画でした。


これまでヒーローは様々なものを救ってきたけれど、自分の映画の過去シリーズ を救ったのはスパイダーマンが初めてなんじゃないかと。


サム・ライミ版スパイダーマンもアメイジング・スパイダーマンもこれまでいろいろ思うところがあり自分の中で封印してきました。


が、今回の映画でそれら全てが腑に落ちたんですよね。今作を踏まえたらもう旧シリーズも敬遠することはない。スパイダーマン/ノー・ウェイ・ホームに続くとしたら。


そういう意味でもこの映画は本当に貴重な映像体験でした。


この作品、映画としておすすめなのはもちろんなのだけれど、個人的には過去作救済という意味でも激しくおすすめしたいです。


スパイダーマン3やアメイジング・スパイダーマン2などの影響でスパイダーマンというキャラクターや作品群に大して複雑な感情を抱いている人って結構いると思うんですよね。


という訳で今回はこの辺で。最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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