プライベート・ライアン
どうも、松本13です。今回は、『プライベート・ライアン』についてです。
まずは簡単な概要とあらすじから。
【概要】
『プライベート・ライアン』は、1998年公開のアメリカ合衆国の戦争映画。監督はスティーヴン・スピルバーグ、出演はトム・ハンクス、マッド・デイモンなど。
【あらすじ】
1944年6月。ノルマンディ上陸作戦は成功に終わったものの、激戦に次ぐ激戦は米軍に多くの死傷者を出していた。そんな中、オマハビーチでの攻防を生き延びたミラー大尉に、落下傘兵ライアン二等兵を戦場から救出せよという命令が下された。ライアンには3人の兄がいたが、全員が死亡。その兄弟全員を戦死させる訳には行かないと考えた軍上層部の決定であった。ミラーは中隊から7人の兵士を選び出し、生死も定かでないライアン二等兵を探すために戦場へと出発する…
この映画、今や言わずと知れた名作かと思います。
普通の映画としても。戦争映画としても。スピルバーグ映画としても。
ただ個人的にはこの映画、ゴリゴリの鬱映画だったりします。
鬱映画というのは二種類に大別されるかと思うのですが。
ストーリーや結末が胸糞悪いタイプ。スティーブン・キング原作の『ミスト』などが代表的かと。
そしてもう一つは視聴前のイメージと実際の内容に乖離がありすぎるタイプ。
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』がそのいい例かと思います。パッと見のイメージで人気アーティストビョーク主演のハートフルな映画だと思って見たら…というパターン。
後者は大抵前者の一面も兼ねていたりもするのですが。
そういう意味ではプライベート・ライアンという映画は私にとって圧倒的に後者タイプの鬱映画だったりします。
プライベート・ライアン公開当時、まだ子供だった私はプライベート・ライアンはいつもの夢やファンタジーいっぱいなスピルバーグ映画と勘違いしていました。
主演はトム・ハンクスだし監督はスピルバーグ。多分『フォレスト・ガンプ/一期一会』のようないい話になるのだろうなと思い込んでいたんですよね。
フォレスト・ガンプも大人になって見ると結構アレな部分もあったりするのですが、とにもかくにも子供の頃の私にとってはそんな感じでした。
が、実際始まってみるとそこにあったのは地獄の地獄。とにかく冒頭のノルマンディー上陸作戦はめちゃくちゃ衝撃的でした。
そこには大勢の人間がいとも簡単に肉塊と化し飛び散るリアルな戦場が描かれていました。何の演出も劇的さもなく、ただ淡々と兵士が死んでいく。
それまでの私にとって戦争というのはマッチョな主人公が無双するための舞台くらいの認識だったんですよね。
今から思えばありえないのだけれど、それでも本格的な戦争教育を受ける前の幼い私の頭の中は本当にそんな感じだったので、余計にプライベート・ライアンは衝撃的だったんですよね。
そこには決して弾が当たらないマッチョな主人公も勇ましい掛け声もなく、肉体の一部を失った兵士たちの悲鳴や断末魔だけが響き渡っていました。
本当に頭をガツンと殴られた気分でした。そしてそんな朦朧状態のまま三時間弱の上映時間は過ぎていきました。
とにもかくにも序盤が衝撃的過ぎました。
私ほど極端ではないにせよ、同じような理由でこの映画が鬱映画やトラウマ映画となっている人は結構多いんじゃないかと。
幼い頃にプライベート・ライアンを見た時はそれこそスピルバーグに裏切られたような、そんな気分だったのだけれど、よくよく考えてみればスピルバーグは別に子供向けの夢いっぱいムービーばかりを撮っているわけではないんですよね。
スピルバーグ映画を見て育った私のファンタジーな部分の多くはスピルバーグ映画由来のものだったりします。
が、よくよく考えてみればグロやトラウマ要素などの部分の大半もスピルバーグ映画由来だったりします。
子供の頃に見た『ジョーズ』は本当に怖くてしばらくは水辺が怖かったし、人生で初めて見た流血表現もジョーズのものだったり。
グロやスプラッターにしても『インディ・ジョーンズ』や『グレムリン』のものだったり。
それらに加えて鬱映画の要素までもがスピルバーグ映画由来なのだから私にとってスピルバーグ映画はほとんど全てと言っても過言ではないのかもしれません。
だからもう随分長いこと生きているのだけれど、未だに私はスピルバーグがいない世界をまだ知らなかったりします。
おそらくそう遠くは無い未来にスピルバーグのいない世界というのは到来するのでしょうが、本当にその世界を想像することができないんですよね。
程度の差はあれど、そういう人は私だけじゃないはず。というか世界中に無数にいるんじゃないかと。
本当にスピルバーグがいなくなったらどうなっちゃうんでしょう。
今からめちゃくちゃ心配だったりします。
と言う訳で今回はこの辺で。最後までお付き合いいただきありがとうございました。