池袋ウエストゲートパーク
どうも、松本13です。今回は映画ではなくドラマについてですので番外編程度とお考え下さい。
2000年代前後に青春時代を過ごした人にとって、『池袋ウエストゲートパーク(IWGP)』は特別な意味を持つドラマではないでしょうか。テレビが圧倒的なメディアであり、アニメが今ほど浸透していなかった時代、ドラマコンテンツが隆盛を極めていた「ドラマ全盛期」において、まさにその頂点に位置する傑作でした。
IWGPは、当時のテレビ界におけるあらゆる才能が結集した作品と言えます。今では再現不可能とも言える豪華な出演陣に加え、堤幸彦監督と宮藤官九郎脚本という強力なタッグが実現。彼らの手腕によって、まさに「イケイケ」の作品が誕生しました。
このドラマは、単なるテレビ番組の枠を超え、社会現象を巻き起こしました。当時は日本中、どこの祭りに行ってもキングのコスプレをしたヤンキーが一人はいましたし。場合によっては複数人おり、キング同士が「どっちが本物のキングか」で喧嘩になったりなんていう、よくわからないこともありましたし(実際にあった話です)。
多くの出演者がIWGPを代表作や出世作とし、カラーギャングがブームになるなど、その影響力は計り知れませんでした。一部地域で治安が悪化するといったマイナスな側面もありましたが、それでもIWGPが一大ムーブメントを巻き起こした事実は揺るぎません。若者を中心に絶大な人気を誇り、放送終了後も幾度となく再放送が繰り返されたことも、その人気の証と言えるでしょう。
当時のことを知る人なら、「池袋ウエストゲートパークは常に再放送していた」という印象を持っている人もいるのではないでしょうか。2000年代は、今よりもテレビやドラマの放送枠が多く、昼間から夕方、深夜に至るまで様々な時間帯でドラマの再放送が行われていました。その中でもIWGPは、まさに「テレビをつければいつもやっていた」と記憶されるほど頻繁に放送されており、「2000年代、IWGPが常に再放送していた説」にあながち間違いはないかもしれません。しかも、何度見ても一度見始めると最後まで見てしまう、そんな圧倒的な魅力がこの作品にはありました。
今振り返ると、IWGPは「いにしえの平成のカオスさの権化」のような存在です。舞台となった池袋自体が様々な意味でカオスな街であり、そこで繰り広げられるカラーギャングの抗争は、まさにその象徴でした。
もし今この手の物語が作られれば、ゴリゴリのアメリカのストリートカルチャーを盛り込んだ本格派作品になったかもしれません。しかし、当時はまだヒップホップカルチャーが一般化する以前。Dragon Ashの代表作『Viva la revolution』がドラマ放映の前年に発売されたものの、ヒップホップはまだ一部の文化として認識されている程度でした。
そんな時代だったからこそのカオス感や、良くも悪くも情報がまだそこまで洗練されていなかったからこその面白さがIWGPには詰まっています。カラーギャングがテーマの作品でありながら、オープニングテーマがビジュアル系ミュージシャンである清春率いるSADSであったことなど、まだ「よくわからないもの」に対する手探り感、ごちゃ混ぜ感がこの作品の魅力でもありました。
当時はインターネットで気軽に情報を得られる時代ではありませんでした。海外の文化や情報も、よほどアンテナを張っている人でなければ、うっすらとしか知らないということが多々あったのです。その結果、足りない部分を想像力で埋めるという、今の時代にはないオリジナリティが生まれていました。
IWGPの影響を受けて全国各地にカラーギャングが生まれた際にも、そもそもそれがどのようなものなのか理解していない人も多かったと言います。都会の極一部の本格的なチームとは異なり、地方では同じ色の服を着ただけの暴走族のような集団や、ど田舎では目的もやることもなく田んぼに囲まれたゲートボール場でたむろするだけの「ファッションチーム」も存在しました。
そういう意味では、当時「憧れ方を間違えた」人々にとっては、超絶な黒歴史ともなり得るドラマでもあったのです。
時代の背景や様々な事情はあるものの、やはりこのドラマが素直にめちゃくちゃ面白いということが一番の魅力ではないでしょうか。
あなたはドラマ『池袋ウエストゲートパーク』にどんな思い出がありますか?